9月20日の火曜日、連休が明けた日。
この日は血液検査がありました。
血液検査の結果はその日のうちに分かり
ます。また前の週に行われた骨髄検査も
結果が分かるころ。でもなぜか検査結果
が知らされない。
「もう少しかかります」という看護師さ
んの話しだけです。
何か違和感を感じながら、23日の祝日
も面会に行くことにし、その前に病院か
らの連絡がないかと、ずっと携帯電話を
持ったまま毎日待ち続けていました。
鎌倉の上行寺。かさ守稲荷と身代わり鬼子母神が
祀られ、癌や病気などの禍を封じてくれる
22日、不安になった妻からの電話。
「いまから家に帰る。迎えに来て」
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「本当に帰るから、迎えに来て下さい」
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もうこの状況に耐えられなくなった妻が
泣きながら、治療を止めて家に帰りたい
という連絡をしてきました。もちろんそ
んなことはできない。白血球が一つもな
い状態で無菌室からは出られない。そん
なことをしたら、あっという間に何かに
感染して命を落としてしまう。
それが分かっていても、家に帰りたいと
声を絞り出し、電話してきました。
そして、
「H先生が何も話してくれない」
「やはりだめなんだと思う」
「だってあれだけ自信満々で移植の話を
していたのに、結果がぜんぜん出ない」
「それに、3回目の移植の話しが出た。
こんな辛い治療は、もう耐えられない」
「臍帯血移植だって。それって前に戻っ
てない。だめだった移植をもう一回やる
意味が分からないよ。まただめってこと
になるよ」
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「あとどれぐらい生きられるのかな」
僕もあれから何も知らされてないので、
具体的なことが答えられない。ただ慰め
る言葉を選んで繰り返すだけです。
「23日も面会に行くから、そのときに
聞いてみるよ。もう少しだから」
それがせいいっぱいの言葉でした。
23日に長女と面会に行くと、すごく体
調が悪そうな妻がいました。更に顔色が
悪くなって、体を起こすことも難しい。
その面会中に他の医師が近くに来て、
「あとで、13階に寄ってください」